再び正字について

 正字とは何でせうか。正字とは、一般に正しい文字、正しい字形として廣く認められて來た字體のことです。戰後の國語改革によつて漢字の體系が破壞されるまで、それは非常に整然とした體系をもつてゐたのです。正字の概念は康煕字典を下敷きとしてはゐますが、康煕字典とは一應分けて考へるべき性質のもので、正字を語るために必ずしも康煕字典を紐解く必要はないと思ひます。

 私は文部省による統制、即ち使用できる漢字の範圍及びその字形の制限を好みません。私は、當用漢字といふ名の絶對主義を持込んで、手書の場合でも活字の場合でも或る字形(例へば「来」の如きを)常に正しいものとして、それを用ゐなければならないといふ戰後の風潮に嫌惡感を覺える者です。當用(常用)漢字の字體について一言で形容しようとすれば、支離滅裂の言葉をもつてするより他はあり得ません。當用漢字は文字體系を構築することを初めから抛棄してゐるとしか思へない代物ですから、その個々の字形について、過去の用例があることを立證してもあまり意味がありません。

 「來」の字形については、「來」「来」「耒(一劃目は水平に書く)」のどの字形を用ゐることも許容されますが、そのうちのどれか一つを正しいものと認める必要があります。その時、康煕字典の序文にどのやうな字形が書かれてゐたとしても、麥、麵、麴、麩等の字との整合性から、私はやはり「來」の字形を採りたいと思ひます。

 最後に和田さんにお訊きします。

 ①「來」「来」「耒(一劃目は水平に書く)」のうち、最も正統な字形はどれでせうか。

 ②「涜、桧、侭、鴎、掴」は正しい字形でせうか。

 ③欠(缺)、弁(辨瓣辯)、拠(據)、当(當)、帰(歸)、予(豫)、 余(餘)、仮(假)、対(對)、学(學)、実(實)、担(擔)、挙(擧)、 旧(舊)

の字形については如何お考へですか。いづれも現代表記では普通に用ゐられる表記ですが、望ましい字體、整理された美しい文字になつてゐるとお考へですか。