假名遣と漢字制限

 私は最近思ふ。新仮名遣(現代仮名づかひ)は漢字制限のためにこそ必要であつたのではないかと。

 私が先に論じたやうに、正仮名遣(歴史的仮名遣)は、容易で、合理的なものである。それは、日常生活に用ゐるのに何らの困難もなく、また大きな混乱も生じてゐなかつた。正仮名遣は、書き記す場合においては多少複雑で訓練を必要としたかもしれないが、読まうとする場合には全く問題にならないもので、私の考へでは、正仮名遣は、むしろ新仮名遣(現代假名遣)よりも記憶しやすいものである。一方、漢字を仮名にひらいて使はうとすれば、字音仮名遣は漢字そのものを記憶するよりも遙かに困難なものといへよう。しかし、漢語は漢字で書くことを前提とする社会においては、それは何ら問題にならぬ。過去の歴史において、日本人が漢字仮名混り文を立派に使ひこなして来た歴史がそれを証明してゐる。

 しかし、漢字全廃を目標とする以上、漢語を仮名で書き表さなければならぬ。憲法(けんぱふ)、立法(りつぱふ)、行政(ぎやうせい)、司法(しはふ)、これらの語を仮名で書表さうとすると、日本国民全部が明日から困つてしまふ。

「当用漢字表」による千八百五十字の漢字制限(昭和二十一年十一月十六日内閣訓令、告示)

  「現代仮名づかい」による表音式仮名遣(昭和二十一年十一月十六日内閣訓令、告示)

 そこまで話を飛躍させなくても、既に昭和二十一年十一月十六日、漢字制限(当用漢字表)と表音式新仮名遣(現代仮名づかい)とは同日に告示されてゐる。当用漢字表に採用されなかつた漢字は使用してはならないことが原則であつたから、綜合、聯合、諒解、函数、濫用、障碍、意嚮、銓衡 、・・・これらの語は使用できないことになつた。当用漢字表にない漢字を含む言葉は、「別のことばにかえるか、または、かな書きにする(「別の言葉にに代へるか、または仮名書きにする」の意味であらう。仮名が多くて醜悪)」となつたゐたので、とりあへず仮名書きする事が必要となつた。これらの語の字音仮名遣を記憶することはそれこそ教育の負担、国家能率の足枷となるであらうことは容易に想像できる。つまり、この問題を乗り越えるためにこそ、表音式仮名遣が必要とされたのである。

 結論。漢字仮名交り文を正則とする以上、表音式仮名遣は無用の代物である。

 因みに、総合、連合、了解、関数、乱用、障害、意向、選考等の当て字表記が公式に認められるには、昭和三十一年の国語審議会報告(「同音の漢字による書きかえ」)まであと十年間待たねばならなかつた。

平成17年1月17日