知的怠惰と國語問題

私の維持してゐるヤフーの掲示板に奇天烈な人物が現れたので、その言動を通して、国語国字問題について少々論じてみたい。 

 i_rose氏は最初、掲示板に現れたとき、

戰後の國語  2005/ 1/17 1:14  メッセージ: 741 / 744

私の使った教科書には ”戰”や ”國”と言う字はなかったです。

戦は漢字、国は漢字ですよね。外来語?”

戰”や ”國”は日本でつくられた言葉、日本字なのですか?

といふ言葉を残した。判りきつたことを訊く奴だとは思つたが、嫌味半分に回答しておくと、今度は、

戰後の國語 しあしりませんし、、   1/18 4:54  メッセージ: 744 / 744  

今の、若い人の新しい言葉は解せないものがおおいです。

>>>であつたでせうが、

せ う が、、、はいつ頃使われはじめたのですか?
江戸時代?室町時代???

といふメッセージを寄せてきた。(詳細はこちらの741番から744番を参照。
 確かに今時の若い者の言葉には解せないものが多いが、「しあしりません」といふ言葉は一体何を指すのか。私は寡聞にしてさういふ言ひまはしを知らない。他人の言葉尻を取つて揶揄しようといふ時に、おのれの言葉の意味不明に気付かないのだから、間抜けと言ふ他はない。私の主張に反対したいなら、きちんと論ずればよいことだ。国語問題に関する論争なら私は何時だつて歓迎である。
 さて、i_rose氏の言葉の中に、「教科書にない」とか、漢字が「日本で作られた言葉、日本字なのですか」とか、見識に欠ける部分がある。日本字なる言葉も普通は使はないやうに思ふが、それは些細なことである。それよりも、i_rose氏の投稿の中には聞き捨てならない考へが潜んでゐるやうであるから、その非を明らかにしておきたい。
 始めに、「教科書にない」云々といふことについてであるが、彼がどの程度の教育を受けた人間であるのか不明だが、もし小学生や中学生ではない歴とした大人であるならば、現在自分が用ゐてゐるのと異なる国語表記の体系が、比較的近い過去に存在してゐたことを知らないとすれば、それは単なる無知である。また、教科書と学校教育とを金科玉条として疑ふことを知らないのであれば、それは、とんでもない権威主義、文部(科学)省と教育機構に対する妄信、盲従である。かういふ人物は中世のヨーロッパに生まれれば、心の底から正しいと信じながら異端者を迫害しただらうし、戦中の日本にゐれば私に対して適性外国語を使ふと言ひ掛りをつけるのに違ひない。要は、自分の頭で考へるといふことをしないのであつて、私はそれを称して知的怠惰といふのである。

 私は、掲示板への投稿の中で、
(漢字は)かつては外來語であつたでせうが、現代では國語であります。

と記したのであるが、正気でこれが読めぬと言つてゐるのであらうか。だとしたら、気の毒な話だ。一昨日(をととひ)出直してきてもらひたい。
 しかし、文化といふものについてのi_rose氏の考へ違ひはさらに重篤である。氏は漢字は外国からの借物であつて、日本語ではないと言ひたいやうであるが、日本人は古事記、日本書紀、萬葉集の時代には既に漢字を使ひこなしてゐた。漢字の伝来当初、日本においては漢字以外に文字表記の方法はなかつたのである。古今和歌集における紀貫之の「仮名序」が公式文書において史上初めて使用された仮名とされてゐるが、古今和歌集は延喜五年(九〇五)の醍醐天皇の勅命により編纂されたものである。萬葉集は萬葉仮名で記されてゐたのであるから、萬葉集の編纂された時代には仮名はまだ成立してゐなかつたか、文字として一般に認められてはゐなかつたものと考へられる。さうだとすれば、漢字伝来以来、古今和歌集成立頃までの数百年間は言葉を記すための方法が漢字しか存在しない時代が続いたことになる。
(上記各書の成立年代)

  古事記        和銅五年(七一二)

  日本書紀       養老四年(七二〇)

  萬葉集(萬葉仮名)  五世紀初頭から天平宝字三年(七五九)までの四百年前後

  古今和歌集(仮名序) 延喜五年(九〇五)の醍醐天皇の勅命により編纂
 日本人は、仮名発明までの間は漢字のみを用ゐて、そして仮名発明以来の千年強の間は漢字と仮名とをそれぞれの用途に合せ、使ひ分けてきたのである。仮名は専ら女性が、漢字は主に男性が用ゐ、後に次第に漢字仮名交り分が日本語の一般的な表記法となつた。漢字の故郷は確かに支那であるが、漢字は既に日本語の一部であり、その不可欠な要素となつてゐる。日本語から漢字を取り去ることは、体の一部を取出して捨てるやうなもので、絶対に不可能なことである。一握りの漢字廃止論者を別にすれば、さう考へるのが常識である。
 さらに、「戰”や ”國”は日本でつくられた言葉、日本字なのですか」といふ言葉からi_rose氏は言語文化といふものが、一般に他の民族文化の影響を受けずに成立するもの(または成立すべきもの)と考へてゐるやうにも見受けられるが、これまたとんでもない思ひ違ひと言はざるを得ない。日本語が漢語の影響を強く受けてゐることは周知のことであるが、大野晋氏の研究によれば、和語の語彙は現在のインド、タミル地方の言葉と密接な関係があるといふ。私もそれは否定できない学問的事実であるやうに思ふ。朝鮮語は、近年ナショナリズムからか表音文字化しつつあるやうに思はれるが、古来朝鮮においても、漢字漢文は言語を書き記す上で欠くことのできないものであつた。ベトナムでも、仏領となる以前は漢字が用ゐられてゐたやうで、現代でも人名は漢字で書き記すことが出来るらしい。ホーチミン氏(市)は胡志明氏(市)、ゴージンジェム氏は呉廷琰氏、ベトナムは越南、ハノイは河内ださうである。私がベトナムで見た工事中の看板にはラテンアルファベットで「チューイ」(綴りは覚えてゐない)と書かれてゐたが、多分、注意のことであらう。大東文化大学のホームページに拠れば、以下のベトナム語はそのまま漢語に変換することが出来るさうだ。その漢語を日本式に読み下せば、誰にも判る日本語になる。
ザン トック ヴィェッナム ヒー ヴォン フアッ チェン クアン ヘー ニャット ヴィエッ

Dan toc Viet Nam hyvong phattrienquanhe Nhat-Viet

民族越南希望発展関係日越

ベトナム民族は日越関係の発展を希望してゐる

 歴史に「もし」は禁物であるが、もし、ベトナムが今も漢字表記を使つてゐれば、ホーチミン市において私にも少しはベトナム語の看板や標識が理解できただらうし、その文化にもう少し親近感を持つことが出来たはずである。そして何より、ベトナム人と日本人とは筆談により遙かに容易に意志の疏通ができたかも知れないのである。かつてのベトナムで開高健がやつたやうに。 

 私は、アジアのかなりの地域において、漢字漢文が共通の文化であつたと考へても良いのではないかと思つてゐる。漢文は、ちやうど中世のラテン語が欧州で果したやうな役割を果して来たのではないだらうか。

 ここで、欧州諸語について考へてみると、アルファベットといふものは、西欧の発明品ではない。それは、ローマ帝国が占領したギリシアから学んだものである。そのギリシアとてアルファベットを自力で発明したのではない。アルファベットは中東地域に広く普及してゐて、有名なところではヘブライ語やアラム語もアルファベットであるし、エジプトの神聖文字(ヒエログリフ)も実は一種のアルファベットであつたらしい。アルファベットは、中東でセム族が発明し、その後、地中海世界に拡がつたものとされてゐるやうだが、その本家本元がギリシア文明であるかのやうに思はれてゐるのは、ローマ帝国隆盛以前に地中海で勢力を誇つたのがギリシア人であり、各地に散つたギリシア人がアルファベットを原住民に伝へたからであつたのではないかと思ふ。ローマ帝国がアルファベットとラテン語をヨーロッパに広め、近代の欧米列強がアルファベットをベトナムのやうなアジアの各植民地に押し付けたやうに。
 私の知識ではこれだけの実例しか提示することが出来ないが、アジア或いはヨーロッパの各言語、民族文化は、互ひの影響を受けながら発展して来たものだと考へるのが妥当であらう。言語文化といふものは、一般に民族単独の才能だけで作り上げられるものではない。互いに影響しあつて、その歴史的結果として現代の世界、民族地図があるのだ。

 漢字が日本語でないなぞといふ考へは断固排除すべき迷妄である。
 私は、さういふ歴史を知つた上で、それでもなほ日本語を、日本文化を愛する。日本語を愛するのに、漢字が支那で発明されたものであるとか、学校教育で正しい文字を教へないとか言ふことは障碍にならない。学校で教育された以上のものを自ら習得することを厭ふ者は、知的怠惰によつて自ら誤りに陥つてゐるのである。また、漢字を外来のものとして排除しようとする者は、言語文化といふものの歴史や本質を知らぬ者であるか、あるいは自国で発明した文字以外を排除しようとする国粋主義的思想を持つ者なのである。
 私は自ら正しいと思ふことを正しいと言ふのみである。

 平成17年1月22日